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前史(4) [卷之三薄靡]

前史第Ⅳ期
 ●1884年 ホレリス(アメリカ)のパンチカード式計算機。
 ●1886年 バロース(アメリカ)の印字装置付き分類集計機。
 ●1889年 レオン・ボレーの乗算器。
 ●1893年 オットー・シュタイガーの「ミリオネア」。
 ●1897年 テートス(イギリス)の計算機。
 ●1897年 フェルト(アメリカ)「コンプトメーター」。
 ●1903年 矢頭亮一(日本)「ヤズ・パテント・アルスモメートル」。
 ●1906年 川口市太郎(日本)「川口式計算機」。
 ●1907年 パワーズ(アメリカ)のパンチカード式計算機。
 ●1911年 モンロー(アメリカ)の計算機。
 ●1912年 大本寅次郎(日本)「虎印計算器」。
 ●1925年 ブッシュ(アメリカ)のアナログ計算機。

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前史(3) [卷之三薄靡]

 しばしばコンピュータの発達史では、まれにライプニッツが前振りとして語られ、次にバベージに若干の行数が割かれ、そのあとホレリスに飛躍する。

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前史(2) [卷之三薄靡]

 19世紀に入って近代工業と資本主義が勃興すると、再び計算機の開発が活発になった。この時代にいたって、ようやく人々は「機械を機械で動かす」ことを考案した。別の言葉でいえば、「自動機械」とか「装置」という考え方が生まれた。自動織機や自動演奏装置が発明され、機関車や自動車が走り始め、工業の時代が始まった。

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前史(1) [卷之三薄靡]

 初期の計算機は、歯車とバネでできた機械仕掛けの装置で、ソフトウェアは人の頭脳そのものだった。装置を操作する人の思考と行為がプログラムでもあった。精密さにおいて、人より機械が重要と考えられた時代が長かった。だけでなく、機械を動かすための仕掛けという発想がなかった。

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マネーサプライ(4) [卷之三薄靡]

 この話はまたたくうちに全米に広がり、その年の8月、東部の新聞に
 ――カリフォルニア州で金鉱脈。
 というニュースが報じられた。
 さらに尾ひれがついてヨーロッパに伝わった。

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マネーサプライ(3) [卷之三薄靡]

 端緒となったのは、1848年の1月24日だった。
 金脈の第一発見者であるジェームズ・マーシャルの記憶によると、この日は
 「冷え込んでいたが、青空の広がる気持ちのいい日だった」
 という。

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マネーサプライ(2) [卷之三薄靡]

 古来、黄金に異様な関心を示したのは、狩猟系民族である。日本では平安時代の末、奥州に大量の黄金が産出したが、藤原三代の栄華を残した以外、人口の移動は起こらなかった。これに対して中国をしばしば脅かした北方騎馬民族は、黄金の冠、黄金の剣、黄金の馬具をこよなく愛し、この特殊な金属を手に入れるために侵略を繰り返した。

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マネーサプライ(1) [卷之三薄靡]

 イギリス本国→西アフリカ→北アメリカ→イギリス本国と、大西洋を一巡する三角貿易は、いうまでもなく産業革命によって発生した産業資本経済と歯牙の関係にある。

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幌馬車は西部を目指す(4) [卷之三薄靡]

 書き残したことがあった。
 アメリカ合衆国独立の遠因となった七年戦争が終結した1763年、スコットランドのグラスゴーで科学研究用機材の製造を行っていた青年実業家が、ある機械装置の改良に取り組んでいた。青年の名はジェームズ・ワットといい、改良に取り組んでいた機械装置は「ニューコメン機関」というものだった。

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幌馬車は西部を目指す(3) [卷之三薄靡]

 独立の承認から1880年までのおよそ1世紀、アメリカ合衆国は領土の拡張と戦争に明け暮れた。独立のいきさつからいって、フランスこそが強い影響力を持つはずだった。だがそのフランスは、アメリカ合衆国の独立運動に刺激され、勇気を得た市民による革命と、革命後の反動で大混乱に陥っていたし、イギリスはインドの植民地経営と中国・清朝への対応で忙しかった。ともにアメリカにかかわっている余裕がなかった。

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幌馬車は西部を目指す(2) [卷之三薄靡]

 1773年の12月、ボストンの港に紅茶の葉を満載した船が到着した。北米では新年を迎えるに当って紅茶葉の需要が強まっていたが、品薄のうえに多額の関税が課せられたため、その価格は庶民が購入できるものでは到底なかった。

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幌馬車は西部を目指す(1) [卷之三薄靡]

 不毛の地と考えられた北の大陸は、しばらく無風のまま過ぎた。ややあって16世紀の末、ようやくこの地にもヨーロッパ人がやってきた。ただしスペイン人のように王を拘束し、皇帝を殺害するといった乱暴は働かなかった。

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レコンキスタ(4) [卷之三薄靡]

 コロンブスもベスプッチもイタリア人だった。
 にもかかわらず、イタリア国王は自国内の混乱に忙殺されるばかりで新大陸に興味を示さなかった。また数次にわたって探検隊を送り込んだイスパニアも、北の陸地を植民地にしようとは考えなかった。現在の地勢を承知しているわれわれからすると、まことに不思議なことといわなければならないが、彼らにとって北の大陸は荒涼たる不毛の地にほかならなかった。

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レコンキスタ(3) [卷之三薄靡]

 いずれにせよ、コロンブス隊が威風堂々の上陸を果たし得なかったことは間違いない。
 翌年3月15日、パロス港に帰還したのは、傷ついた2隻の帆船であった。
 ――黄金と香辛料を探索していたとき暴風雨に遭い、一隻が座礁したのである。
 と彼は主張して譲らなかった。

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レコンキスタ(2) [卷之三薄靡]

 すなわちグレゴリウス暦の1492年8月3日、イスパニアのパロス港から3隻の帆船が出航した。全長約30メートル、排水量90トンの旗船「ラ・ガレガ」の甲板では、イタリア人にして冒険家であるクリストファー・コロンブ船長がインド大陸への夢を馳せていた。女王イザベルもまた、この船長に夢を託していた。

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レコンキスタ(1) [卷之三薄靡]

 西暦1492年。
 この年はわが明応元年に当たり、駿河興国寺では伊勢長氏が戦国の風雲を蓄えていた。折りしもその前年、伊豆堀越に居館を構えた関東公方足利政知が57歳で没し、その子茶々丸が後を継いだものの、管領上杉一族の信任を得ることがなかった。長氏は箱根の山中で関東をうかがい、郎党の大道寺、松田らとの謀議に忙しかった。伊豆一国を手中に入れ、下克上の幕を切って落とすのは翌明応二年である。

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卷之三薄靡 [溟涬篇]

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卷之三 薄靡


               ―― 目 次 ――

                  レコンキスタ
                  幌馬車は西部を目指す
                  マネーサプライ
                  前 史
                  道具から機械へ
                  幕末
                  開成所
                  太政官政表課

タグ:目次 溟涬篇

発掘(4) [卷之二鶏子]

以下、Webサイト「杉亨二の部屋」からの抜粋。

 杉亨二は、明治維新後の我が国の近代化において人口調査の必要性を説き、明治十二年には国勢調査の試験調査とも言うべき「甲斐国現在人別調」を実施したことで有名でありますが、同時に我が国の統計学の開拓者、近代的統計調査の先駆者、そして統計教育の先覚者でもありました。  現在、我が国の統計が国際的に非常に高い評価を得るようになったもの、杉亨二の卓越した先見性と行動力に負うところが大きいと言えます。
   (中略)
 統計家養成のため高橋二郎、寺田勇吉、宇川盛三郎、呉文聰、小川為次郎、岡松徑などの有能な職員を政表課に集め、課務を行うとともに……

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発掘(3) [卷之二鶏子]

 わたしの場合、それほどではなかったにしても、事実、当惑した。
 「明治二十五年」にホレリス式PCSを日本に紹介した高橋二郎という人のことを、一度は調べてみなければならない。国勢院が現物を輸入した大正九年まで、およそ30年の時間が流れているが、この人物が何かかかわりがあるかもしれない。1世紀以上も前のことなので、果たして記録や文献が残っているかどうか。

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発掘(2) [卷之二鶏子]

 ――文字。
 複雑に入り組んでいたのは、刀身の表と裏に刻まれた漢字が重なって写っていたためだった。研究員たちはその重なり具合と形から一文字ずつレポート用紙に写し取った。

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タグ:鉄剣

発掘(1) [卷之二鶏子]

 遺跡の発掘調査では、まれにこういうことが起こる。慣れた風景、遺物であるためについつい見逃してしまうのだが、あるとき突然に、ちょっとしたきっかけからとんでもない発見がある。
 1978年9月、日本考古学会を揺るがした大事件があった。
 埼玉県行田市にある「埼玉古墳群」の稲荷山古墳から出土した鉄剣である。

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かみよのかみ(4) [卷之二鶏子]

 それはまさに突然のようだった。
 いや、目にしたのは初めてではなかったはずだった。なぜならその資料は、業界の昔の出来事を調べるとき、手にすることが少なくなかった。そこに次の一文が記されていた。

 明治25(1892)年5月、高橋二郎、『統計集誌』第129号誌上に「人口調査電気機械の発明」と題し、ホレリス式PCSを初めて紹介。

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タグ:高橋二郎

かみよのかみ(3) [卷之二鶏子]

 ところが社会・経済の情報化――利用者が何を考え、どのような思想で計算機を導入し、システムを構築していったか――を語るとき、PCS、すなわちパンチカード・システムの時代を描かないと、どうも話の流れがうまくつながらないのだ。どんなに優れた計算機があっても、それを利用する考え方と技術がなければ、それはただの機械に過ぎない。

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タグ:PCS

かみよのかみ(2) [卷之二鶏子]

 こんなこともあった。
 以前から親しくしている人に誘われて、銀座――というのは住所だけで、実際は有楽町に近い――のパブで開かれた会合に参加した。

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かみよのかみ(1) [卷之二鶏子]

 以後、精力的な取材が続いた。
 ほとんど連日のように業界関係者と会った。1950年代のことを語ってもらうのでなく、それぞれにとっての“コンピュータことはじめ”をインタビューさせてもらった。「独立系」と総称されるソフト会社の場合、多くがオーナー会社で創業者は健在であることが少なくない。そのインタビューを通じてヒントなり手がかりなりを得ることができるのではあるまいか。つまり筆者の取材は人探しの追跡調査に近い。

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タグ:奈良総一郎

余燼いまだ(4) [卷之二鶏子]

 当時、富士通は、子会社に「富士通」の名乗りを認めていなかった。
 「長い将来にわたって富士通の冠を認めてくださらなくても結構です」
 名木田氏は言った。

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タグ:名木田兵ニ

余燼いまだ(3) [卷之二鶏子]

 1970年、富士通は富士通ファコムの教育、営業、システム開発の三部門を本社に移籍するという決定を下しました。そのゴタゴタで、日本IBM から移籍してきたエンジニアをはじめとする“サムライ”たちは次々に退職していきました。

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タグ:名木田兵ニ

余燼いまだ(2) [卷之二鶏子]

 再び名木田氏とのインタビュー――。

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タグ:名木田兵ニ

余燼いまだ(1) [卷之二鶏子]

 前節の続き。
 富士通信機製造は「FACOM230―10」の営業部隊を新設し、名木田氏を推進役として引っ張り出した――というところまで書いた。営業は未経験でも、工場長として発揮した統率力と企画力が評価された。

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タグ:名木田兵ニ

サムライ(4) [卷之二鶏子]

 1965年に発売された「FACOM230―10」は、それまでの電子計算機と比べるとはるかに使いやすかった。加えてカナ文字が使えるプログラミング言語「カナCOBOL」でプログラムを作ることができた。富士通は
 ――一気に市場を席巻しよう。
 と考えた。

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タグ:名木田兵ニ
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