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代理店契約(2) [卷之六游魚]

〈初の計算機展示会〉1926.11.09

 日本陶器に向けたホレリス式統計会計機械装置が到着した直後、逓信省の貯金局から引き合いがあった。続いて1926年6月に3菱造船神戸造船所が国内第2号ユーザーとなる契約を結んだ。
 三菱造船は次いで27年、長崎造船所にもホレリス式を採用した。同社は1921年(大正十)の軍縮以来の造船不況に対応するため、経営合理化の一環として事務の機械化を調査・研究していたのだった。
 出だしは順調に見えたが、国内経済は悪化の一途をたどっていた。CTR社が原則としていたレンタル制度が日本の企業に馴染まなかったばかりでなく、パンチカードのランニングコストがネックとなった。1925年に日本陶器、26年に三菱造船神戸造船所、27年に同社長崎造船所と、年間1セットの契約が精一杯で、引き合いも伸び悩んだ。
 こうしたことから森村市左衛門と水品浩は、「1年間に5台の契約を取ること」というCTR社との契約を果たすことは、現状ではきわめて難しいと判断した。
 そこで森村市左衛門は1926年(大正十五)の11月、東京日本橋にあった森村銀行の4階で、ホレリス式統計会計機械装置の展示会を催した。このために日本陶器に設置されていたマシンが搬入され、岩田壮一も随行して実演に当たった。
 さらに森村商事は、展示用として最新式の電気式ソーター、電気式パンチマシン、ベリファイヤーなどを輸入して公開した。ソーターはホリゾンタル(水平)型だったとされる。国内初の計算機展示会がこうして開かれた。
 展示会は東京・銀座にあった森村銀行で11月19日から2週間にわたって開かれ、中央官庁をはじめ金融機関、保険会社、大手製造業の要人が招待された。招待状には

 最新式にして機能顕著なることは申上げるまでもなく現に米国に於て普く使用せられ日日の計算、統計及調査等殆ど応用せられざるなく到底人力を以て企図し得ざる効果を挙げ居り其使用の有無は事業の振否に関係する程の有様にこれあり実地操作の状態を親しく御覧なされたく……。

 とあった。
 また、モリムラ・ブラザース・カンパニー副支配人の中山武夫は本社に宛てて、
 「此機械ノ照会ハヂリヂリト根強ク進ム」
 というメッセージをニューヨークから送っている。

【補注】


森村銀行 東京・銀座四丁目にあり、のち三菱銀行に吸収された。現在に残る建物図面によると、総大理石造り2階建てで、正面には4本のギリシア風円柱が立ち、総床面積約580坪(1900平方メートル)という立派なものだった。

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