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代理店契約(1) [卷之六游魚]

 〈中山武夫〉

 『日本アイ・ビー・エム50年史』などによると、森村商事がコンピューティング・タビュレーティング・レコーディング(CTR)社とホレリス式統計会計機械装置の東洋代理店契約を結ぶに当たっての立役者は水品浩という一個人であったかの印象を受ける。
 なるほど、水品浩という人材がいなければ、ホレリス式統計会計機械装置は1925年(大正十四)の時点で日本に輸入されなかったかもしれない。
 しかしニューヨーク副支配人の中山武夫、当の社長である森村市左衛門が統計会計機械装置の有用性を理解し、自社の新規事業として将来に期待していなければ、水品の構想は実現しなかったともいえる。また、日本陶器の加藤理三郎が統計会計機械装置の導入に強い意向を継続して示していなければ、森村商事による輸入は達成されなかった。つまり加藤理三郎、森村市左衛門、中山武夫、水品浩など、明治生まれの気骨が、日本にホレリス式統計会計機械装置をもたらしたのだった。
 1925年の5月、モリムラ・ブラザーズ・カンパニーのニューヨーク副支配人・中山武夫は、日本の森村商事に宛てて1通の手紙を送った。CTR社のエンディコット工場で研修を終えた水品浩が、機械の積み出しに先立ってシアトル経由で日本に向かったことを告げ、CTR社との代理店契約が無事に締結されたことを報告したものだった。
 その中で中山はこう記している。

 日陶ニ於テ愈々実用ノ暁キハ其活用ノ程度ニ依リ内地緒工業銀行ニ使用セシムルノ途ハ充分有之事ト信ジ申候、此器械ハ保険会社、鉄道、政府、紡績会社等活用シテ此レヨリ利益ヲ得ン事ハ確実。

 日本陶器名古屋事務所に設置されたホレリス式統計会計機械装置は、5段タービュレーター1台、ソーター、電気式穿孔機、パンチカード、付属品1式で総額は4172ドル21セント、輸入関税が2169円1銭だった。当時の為替レートで1ドル=2円とすると、関税を含め1万2000円以上になる。
 「一万円も貯金があれば、利子だけで食べていける」
 と当時は言われていた。1925年における男子職工の給与を調べると、初任給は月額20円前後だった。一般の企業が事務用に使っていたタイガー式計算器の最高モデルが約500円だった。このことを考えると、アメリカ製の統計会計機械装置がいかに高価だったかが分かる。

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