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森村商事(3) [卷之五靉靆]

 〈ノリタケ〉

 このころ森村の関心は、白磁の陶器に移っていた。パリで開かれた万国博覧会に出品され、脚光を浴びた白磁の大皿を日本で作れないかと考えたのだ。

 ところが陶器というものは、中世アジアにおける中国・朝鮮の陶工がそうであったように、工法や釉薬の組成などが門外不出の秘伝とされていた。ヨーロッパにおいても同様であって、ましてそれを遠いアジアの外国人に教えるなどということはあり得る話ではなかった。
 そこで森村は巨費を投じて日本から陶工をヨーロッパに派遣し、工房に入れて工法を学ばせ、帰国するのを待って試作する作業を繰り返した。人が知識と技術を習得するのだから時間がかかる。しかも作ろうというのは直径30センチを超える大皿である。用途は単品の工芸品でなく、ディナーセットであるため焼成が均一でなければならない。何とか製品化のめどをつけるのに20余年という時間を要した。
 1904年(明治三十七)、愛知県名古屋市則武に「日本陶器合名会社」を設立した。日本陶器が生産するボーン・チャイナは、所在地の名を取って「ノリタケ」のブランドが付けられた。現在のノリタケ・カンパニー・リミテッドである。
 1914年(大正三)7月に欧州で第一次世界大戦が勃発すると、欧州からの輸入が途絶したアメリカからボーンチャイナの注文が殺到した。同社が苦労の末に完成させた白磁の大皿は、ピーク時に10万セットを輸出したといわれる。輸出だけでなく、皇室や外務省、海軍、帝国ホテル、精養軒などに採用され、三越百貨店でも扱われるようになった。
 また国内における重工業の隆盛で電力の需要が急増し、芝浦製作所などから陶製絶縁体(碍子)の大量注文が相次いだ。加えて近代住宅のブームで衛生陶器の需要も高まり、日本陶器は空前の好業績が続いていた。
 これに対応して個別の専門会社として設立されたのが東洋陶器(現TOTO)、日本碍子、日本特殊陶業などであり、資金援助などで関係を強めたのが伊那製陶所(現「イナックス」)、日本陶器から分社していったのが名古屋製陶(現鳴海製陶)である。日本のセラミック産業は、すべて森村市太郎から始まっている。

【補注】


ノリタケ・カンパニー・リミテッドの発足 名古屋ドーム球場が建設されたとき、同社の発足を明記した陶板が偶然、地中から掘り出された。その陶板には筆書きで次のような文字が書かれていた。

 森邨組創立己來日本陶器之完全ナラサルヲ慨シ改良ノ爲メニ盡瘁スル事己ニ二十有餘年今ヤ我陶器ヲシテ歐洲ノ精品ニ比肩セシメ益完美域ニ進メ以我國貿易ヲ隆盛ナラシメンガ爲メ茲ニ日本陶器合名會社ヲ設立ス誓テ至誠事ニ当タリ以テ素志ヲ貫徹シ永遠ニ國利民福ヲ圖ル事ヲ期ス
  明治三十七年一月一日
        森村市左衛門 大倉孫兵衛 廣瀬実栄
        村井保固 大倉和親 飛鳥井孝太郎」
 それはわが国セラミック産業の発祥を記したものだった。文中の「日本陶器之完全ナラサルヲ慨シ改良ノ爲メニ盡瘁スル事己ニ二十有餘年」というのは、径12インチ(30.5センチ)を測る純白の大皿を焼き上げるに成功した辛苦を指している。この大皿こそが「オールド・ノリタケ」の真骨頂であった。この陶板は現在、ノリタケ・カンパニー・リミテッドに保存されている。


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コメント 1

常滑人

×:伊那製陶所(現「イナックス」) ○:伊奈製陶所(現「INAX」) です。
by 常滑人 (2009-12-09 00:00) 

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