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世界へ(1) [卷之五靉靆]

日本生命

 最も早く海外――明治期にいう「外国」とは、まずヨーロッパを指していた――から計算器を輸入したのは、日本生命保険相互会社である。

同社の社史『ニッセイ一〇〇年史』には次のようにある。

【 事務機械化への先駆け 】


 テートス計算機 
 生命保険の事務は計算、統計といった種類のものが多く、しかもそれが大量であることから機械・器具を利用するのに適しており欧米各国とも早くから機械化に取り組んでいた。当社もこうした海外諸国の業界の動きに注目、明治三十年にテートス計算機を購入して機械化の第一歩を踏み出した。
 テートス計算機は当時の著名な保険数学者ジョージ・キングの著書でも紹介された評判の計算機械で、副社長の片岡直温がこの年の十一月に海外視察から帰国したとき、英国より持ち帰ったものであった。この当社第一号のテートス計算機は、主に保険数理の実務計算に使用されて事務能率の向上に成果をあげ、社内外で話題になった。
 明治三十六年四月、当社は全国の代理店主を前年新築したばかりの本店に招待した。その日の社内見学の模様を『社報』第十二号(明治三十六年四月)は「主計課室にては計算機を説明せしを以て、来賓は多く茲に足を止めたるものの如かりき」と、参観者の多くがテートス計算機に深い関心と興味を示した様子を記している。

 ミリオネーヤ乗除計算機 
 計算機はその後世界各国で改良が加えられ性能の良い新製品が相次いで開発された。当社はそれら優秀な計算機の買い替えや増設を進めた。大正五年には、当時世界で最も進んだ計算機として知られていたスイス製のミリオネーヤ乗除計算機を導入し、責任準備金の計算に利用した。またこれに統いてマルセーデス、ラインメタル、モンロー、マーチャント等最新の計算機を備え付けて事務の能率増進に努めた。
 大正十二年四月一目から十五日まで、第一回生命保険展覧会が大阪長堀橋高島屋呉服店で開催された折には、当社からミリオネーヤ計算機を展示・実演して入場者の注目を集めた。
 その後も用途に従ってそれに適した各種の計算機を購入・使用し、昭和初期にはマルセーデス計算機三台、ミリオネーヤ計算機二台、アリスモス計算機、サンドストランド計算機、ラインメタル計算機各一台が稼動していた。このうちサンドストランド計算機は計算と同時に製表する機械であった。
 なお、事務の合理化能率化促進のため、謄写印刷機械類として輪転謄写機一台、ディトー複写機三台を、また、写真機としてフォトスタット複写写真機、イーストマン引伸機等を備えていた。

 マルセーデス、ラインメタル、マーチャント、サンドストランド、ラインメタルなど、一般的な計算機の歴史に登場しない機械の名前もある。また「輪転謄写機」や「複写機」が事務合理化の機器に数えられている。

【補注】


片岡直温 かたおか・なおはる/1859~1934。高知県に生まれ、まず寺の小僧となり、1880年に兄直輝(1856~1927、海軍大主計ののち日本銀行大阪支店長を経て大阪瓦斯社長)を頼って上京した。内務省に入り滋賀県警察部長となったが、1889年、弘世太郎と共同で日本生命保険を設立した。のち社長兼任のまま衆院議員となり、若槻礼次郎内閣で蔵相に就任したが、震災手形の処理をめぐる野党との答弁が昭和金融恐慌のきっかけを作った。


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